不登校解決現場レポート中学生の不登校子供の心理学小学生の不登校高校生の不登校

子どもの発達段階と不登校との関係⑦~親と子の養育環境の違い~

 

こんにちは。不登校支援センター横浜支部カウンセラーの本沢裕太です。

3月は新型ウイルスの影響で、マスクがなかったり、ウェットティッシュがなかったり、トイレットペーパーがなかったり、おむつがなかったり大変でしたね。

私自身が重度の花粉症なので、必需品の確保に苦労しました。

様々な意見が飛び交っておりましたが、いざという時に困らないだけの最低限の備蓄は必要だなと痛感した1か月でした。

今回の出来事を教訓にしていきたいですね。

 

さて今回は、親と子の養育環境の違いと不登校との関係について書きたいと思います。

   →前回のブログはこちら「子どもの発達段階と不登校との関係⑥~経験と予測~」

面談の中では、親御さんが子どもだった頃の話をお伺いすることがあります。

  • 兄弟が多かったので、下の子の面倒を見てた
  • 親が厳しかったので学校を休みたくても休ませてもらえなかった
  • 先生は理不尽でもあったが、優しさもあった
  • 友達とは〇〇して遊んだ(流行っていた)

などなど色々なお話をお聞きできて、共感できるところもありながらも全く未知な話もあり、大変刺激的だと感じると同時に、今と昔は違うなぁと感じます。

まあ、当たり前の事ではありますね。

 

私は1980年生まれですが、小学生の時、ある日突然友達が学校に来なくなったことがありました。

割合で言うと学年で2,3人ほどで、当時は「不登校」というより「登校拒否」という捉え方でした。

放課後、その友達の家に何人かで遊びに行ったのを覚えています。

中学に入ってからも同様に、学年に2,3人は学校に来ない子がいました。

今では、クラスに1,2人、多いと3,4人いるという話ですので、比べ物にならないほど増えています。

「学校に行かない」という選択肢が世間でも認識されてきていることや、実際に休むという行動を取っている生徒さんが複数いるというのも大きな変化ですし、「不登校児」が増えている背景でもあるかとは思います。

「不登校という認識」だけではなく、この20年30年で社会環境が急速に大きく変化していると感じますし、変化ととも求められる考え方や人物像も日々変化していますし、それは私が子どもの頃、親御さんが子どもの頃のままではありませんよね。

そして、そういった「社会」に適応しようと過剰になりすぎることで心理的な負担を感じてしまう方が増えている様に感じます。

これは「不登校だけの問題」ではありません。

実際に「不登校」という形で症状が出なかった方でも、働き出してから会社という組織に適応できずに苦しんでおられる方もたくさんいらっしゃいます。

そういった方や子どもを支援する際に、私たちカウンセラーが極力しない事を3つお伝えしたいと思います。

  • アドバイス(指示、命令)をしない
  • 期待しない
  • 放っておかない

この3つをなぜしないのかというと、「今のその人のあり方」を否定してしまうことになり兼ねないからです。

そして、「今の自分のあり方」を他者から否定され続けたとしたら、自分自身を肯定するというのは・・・・・・難しいですよね。

例えば…

・こうしなさい/こうしたら?/この方が良いんじゃない? → あなたのやり方(選択)は「正しくない」という否定

・期待しているよ/〇〇したら、◇◇してあげる → 私の要望に応えてくれたら褒めてあげる/受け入れてあげるという条件付き

・あなたの好きにしなさい → あなたの関心事に私は関心を示さないという無関心

というメッセージが多かったとしたら、

  • どうせ自分の話は聞き入れてもらえない
  • 他の人からも同様の事を言われるのではないかと思うと人と接するのが怖くなる
  • 自分の世界だけが安らげる場所となり、外の世界に興味を向ける事が嫌になる
  • 「自分は他者からは受け入れられないんだ」という認識が強くなり、自己肯定感が低くなる

といった事にも繋がりかねないのです。

 

ただ、上記の様に伝えたくなってしまうお気持ちも分かる気がします。

ついアドバイスしたくなったり、軌道修正したくなったり、「正しい」方に導きたくなります。

 

そう思う奥にはどういった気持ちがありそうですか?

  • 自分も過去に同じように悩んでいた事があった
  • 「あの時、ああしていたら」と思う事がある
  • 子どもには自分の様になって欲しくないという思いがある

というようなお気持ちに思い当たりそうであれば、育ってきた環境をカウンセラーと一緒に振り返ってみられるのも良いかも知れません。

 

私の話になってしまいますが・・・

私が高校生の時にポケベルが流行り、公衆電話に行列が出来ていました。

自分のバイト代でポケベルを持つのを許され嬉しかった時の事を思い出します。

その後、PHSや携帯電話を持つ人が増えましたが、通話料が高かったので、いかに通話をせずにメールや無料のメッセージなどを使うかに頭を使っていました。

今の子どもたちにこの話をすると大抵「ぽかん」とされます。(笑)

親御さんの時はいかがだったでしょうか?

 

今のお子さんはスマホやタブレットなど1人1台持っていたり、少なくともご家族で誰かしらは持っているのではないでしょうか。

また友達同士でもSNSで連絡を取り合うのが「当たり前」になったり、Web上で様々な方々と交流できるようになったり、情報を入手しやすくなりました。

ただ交流の幅が広がった事により、今まで交わらずに済んでいた人たちとの交流が強制的に生まれたり、必要なのか必要ではないのかも分からない情報の中に埋もれているという一面もあるかと思います。

  • 不特定の他者との比較意識が生まれたり
  • 何が自分のプラスになる情報なのかを選別できなくなる
  • 目的が不明確なまま、確認作業などの為に時間を費やしたり
  • 顔も見えない相手と罵りあったり・・・

・・・と、SNSを思いっきり斜めに見た例を挙げてしまいましたが・・・(笑)

 

 

面談の中で、友人関係や人間関係に悩んでいる人の話を聞いていてこう思うのです。

 

私は、働き出してからスマホが誕生し、SNSなどが普及し始めましたし、その変化の過程も体感していているので、ある程度付き合い方を選べたり制限することで、自分らしさを見つめ直したり、自分のペースを維持したりできていると思っています。

(良く分からないから、ほとんど使いこなせていないというのが本当のところですが・・・)

でもそれができるのは、「それ以外」の選択肢を体験して知っているからなんだろうと。

  • 一緒に遊びたくないなと思う子とは、色んな理由をつけて遊びませんでしたし(笑)
  • 余計な一言からケンカになってしまった時でも、面と向かって謝らないといけなかったですし
  • オンラインゲームなどまだ無かったので、誰かの家に遊び行ったり、自宅に来て遊んでいたので、大抵は夕飯の前には解散していました。

ですが、今の子どもたちにとっては、その線引きが曖昧で難しい様に感じます。

具体的には

  • SNSのグループがあり、その中に入るのが暗黙の了解になっていたり
  • 顔が見えない中でのコミュニケーションで、お互い相手がどう感じるかという事に無関心になっていたり
  • 家にいても他の子とゲームが出来るので時間の制限がつけにくい(フレンドがまだやっているから自分もまだやりたい、など)

などです。

 

でも大切なのは、その子たちにとっては、その中で求められている事がルールでありすべてだということです。

「そのコミュニティに順応する以外の選択肢」を持たないとしたら、「順応できない」と感じることは相当な絶望感です。

私自身が経験してきたことや、過ごしてきた環境を否定するつもりはありませんが、これだけ環境が違ってしまうと、私の価値観からアドバイスなどをするのは、何の解決策にもならないだけではなく、ただの押し付けになってしまうのかなと思います。

  • そんなの気にしなきゃ良いじゃん
  • 嫌なやつとは無理に付き合わなければ良いじゃん
  • 自分の好きな事やれば良いじゃん
  • 面と向かって、言いたい事言っちゃえば良いじゃん

というのは、あくまで「自分の場合はそれで大丈夫だったよ」という経験談の一つに過ぎないということを自覚しつつ、「自分とは全く違う環境を生きているあなたは、そうは思えない事情があるんだよね」という相手を尊重する考えも持ち合わせたいです。

 

そして目の前の子どもが「今」何を感じているのか、何を考えているのか、周囲からの期待や義務感ではなく、本当はどうしたいと思っているのか、という事に関心を向けることで、冒頭の話ではないですが、経験を教訓にして自らが人生を歩んでいく子どもの支えになりたいですね!

 

最後までお読み頂いてありがとうございました。

 

無料面談について詳しくはクリック

関連ワード: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , ,