不登校解決現場レポート

時に大切な、人としての誇りのお話

こんにちは。
仙台支部の上原です。
今日は仰々しいタイトルにしてしまいましたが誇りについてのお話です。

人間としての誇り

昨今「自己肯定感」という言葉はよく耳にするようになったと感じます。
ありのままの自分を肯定する感覚」など表現されることが多いですね。
今回はまた少し違った視点でのお話になるかもしれません。

人間には誰しも誇りというものがあると思います。
プライドや矜持など言葉で表されることもありますね。
これを見ているあなたにも,何かしらあるのではないでしょうか。
誇りは様々な方法で作られたり、獲得していくものだと思います。

そして、この誇りはある程度あったほうが良いと私は考えています。
もちろん過剰にあり過ぎるのは問題だとは思いますが。

例えば私は自分の仕事に一定の誇りを持っています。
残念ながら人間ですので、失敗することや上手く行かないこともあります。
しかしそれが満たされると他では得られない充足感を自分に与えてくれます。
そしてより次の行動へのエネルギーにもなってくれます。

これは働いたことのある方なら大小の差はあれど、誰しもが経験したことがあるのではないでしょうか。
今の時代ではあまり好まれない感覚かもしれませんが、やりがいなど給与以外の部分で人生を豊かにしてくれるものだと私は思っています。

ただこれは環境や自分の行動によって、反対に足かせにもなってしまうことでしょう。
それは不登校という状態の子たちには多くあるかもしれません。

誇りを持ちにくい生活

実生活で考えてみても「皆がやっていることを自分は出来ていない状態」というのは、不登校に限らず何でもこの誇りとは遠い位置にあると感じます。

  • 同級生は働いているのは自分はアルバイト生活だ
  • 周りは結婚しているのに自分は恋人もいない
  • 友だちは趣味があって充実した休日を過ごしているが自分には趣味がない

上げればキリがないほどあるかもしれません。
その中に「学校に行っていない」というものもあるかもしれません。

学校に行っていないことが悪いと言っているわけではありません。
それを本人がそのように感じてしまっていると誇りが失われやすいというお話です。

では不登校のような状態の時、どのようにするとその気持ちを埋めやすいでしょうか。
たまに「自分なんてダメ人間なんで」と自己を卑下し、向き合うことを避けてしまう時もありますが、それだけをしていても中々状態が良くならない場合があります。

誤解がないようにあえて書いておきますが、回復の為など問題に向き合わない時間が必要な時もあります。
自身の精神状態次第でもあるということですね。

少し話がそれましたが、誇りを得やすい単純な方法を1つ紹介しておきます。
それは「自分が何を成し遂げ、他者に認められたと実感すること」です。

そんなの当たり前だろう、と感じるかもしれません。
その通りです。

当たり前に矜持を得られそうなことを出来ているかどうか、なのです。

それは別に学校に通うことや勉強や運動を頑張ることでなくてもいいのです。
自分なりの努力があり、最後までやり遂げる。
そしてそれを他者に認められる。
なんとなくやって結果的に得たものでは獲得しずらいです。

こうして得た誇り、矜持は本人の次への動きに繋がりやすいのです。
自分を認められなくても「これだけは確かにやり遂げたことがある」という感覚。
それを積み重ねるとどうなるか、何となく想像できそうですよね。

最後に

私たち周囲の人間が出来ることはそのサポートです。
本人の代わりにやってあげることは出来ません。
代わりにやってあげたところで、本人にはあまり影響がでないことのほうが多いでしょう。
例えば宿題を代わりにやってあげて、いい評価を貰ったとしても、本人は余計卑屈になってしまいそうですよね。

取り組みやすいのは「他者に認められる」の部分の存在になることでしょうか。
認めてあげるなんて偉そうな言い方になってしまいましたが、本人とって自分がやったことを「おー!やったねぇ!」と共有できる相手になれるか、ということです。

そういった存在がいるかいないかというのは、結構その後の行動や考えにも影響があるものだと思います。

私自身がお子さんのそういった存在にさせて頂く時もあれば、親御さんがそうなる時もあるでしょう。

本人にとって、より次の行動がとりやすくなるサポートをしていきたいですね。
それではまた。

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