お悩みの親御様へ

「良い親でいなくては」と感じるお父さん、お母さんへ①

こんにちは。

東京支部の椎名愛理です。

暑い日が続いていますが、皆さん夏の疲れを感じているのではないでしょうか。

今年の夏は例年にも増して厳しい暑さが続きますので、無理は禁物ですね。

さて、今回から「お子さんを持つ親御さん」の気持ちが少しでも軽くなるよう、私たちカウンセラーとして何かできることはないかと考え、全ての親御さんに向けてのブログを発信させていただくこととなりました。

お子さんの年齢、性別、学校に行っているのか、または学校ではない場所に自分の居場所を見つけているのか、親子の関係性が良好なのか、またはお互いにぎすぎすしたり、空気を読んだりと悩みを抱えているのかなど、皆さんの立場、状況、環境は様々かと思います。

しかしそうした中でも、お父さん、お母さんが「親」として生き、そして「親」であるからこそ悩み、迷い、辛さ、歯がゆさなどを感じることはきっと共通のことでしょう。

時に、親であることに疲れてしまったり、親であることをやめたくなったり、家庭、家族から逃げたい、解放されたい、一人の時間が欲しい…と感じることもありますよね。

それは、皆さんが日々お互いに向き合い、お子さんのことを考え、家族のためにと頑張っていらっしゃるからこそ感じる気持ちです。

そうした気持ちに蓋をせず、皆さんが「自分」として生きやすい時間、心地よい空間、また親としての重圧や「○○せねば」といった思いでいっぱいにならないよう、どうか一緒に考えていきましょう。

~「良い親」という呪縛~

皆さん「良い親」という言葉を聞いたとき、だれを思い浮かべるでしょうか?自分の親、物語に出てくる親、それとも「良い親とはきっとこうだろう」という理想の姿をイメージされるかもしれません。

私は、「良い親」と聞いたとき『大草原の小さな家』という物語に出てくるお父さん、お母さんを思い起こしました。

『大草原の小さな家』は1935年に出版されたローラ・インガルス・ワイルダーの自伝的児童小説です。1970年代後半にはドラマ化され『大草原の小さな家』としてテレビで放送されていました。私も幼いころテレビで放送されているドラマを見て、西部開拓時代の雰囲気や主人公の女の子が起こすドタバタ劇を見て、楽しんでいました。

舞台は1870年代アメリカ西部カンザス州の大草原。主人公ローラの一家が、豊かさや安定を求め、ウィスコンシン州からカンザス州に移り住み、新しい土地での生活に戸惑ったり、人種問題や地域経済の格差、政府からの不公平な扱いに苦しみながらも強く逞しく生きていく姿を描いた物語です。

主人公のローラは、勤勉で努力家、家族に思いやりをもって接し、不正や悪に対してしっかりと立ち向かっていく誠実な父と、父が決めた移住という決断を影で支え、思慮深く、冷静に、感情的にならずにおおらかに家族を支える母のもと生まれました。

ローラは自由奔放で冒険家、新しいことやワクワクしたことが好きな女の子。そしてローラとは対照的に、責任感が強く勉強熱心な姉とぶつかりつつも、父と母からの深い愛情をもらいながら成長していきます。

ドラマをオンタイムで見ていた幼少期は、ローラの明るく活発な性格から引き起こされる小競り合いや、姉との兄弟げんかがどのように終結に向かうのかを見るのが楽しいといった程度でした。しかし今改めて見返すと、ローラのお父さん、お母さんの人間性、そして父、母という役割を全うする姿、夫婦として支えあう姿勢に感動すると共に、そこにある「完璧な親像」や「良い親のモデル」のような姿に、ふと苦しくなる時があります。

例えば、ローラが移住先で学校に通い始め、文字の読み書きができない中で作文を発表するという物語の一場面。

ローラはお母さんについて、「自分の母はいつも優しく笑顔で、家族のために頑張っていて、お父さんと同じくらい努力家である」と授業参観の場で発表します。

ローラはあたかも作文を読んでいるかのように発表しますが、実は文字を書いて文章にすることができず、その場で思いついたことを口頭で発表していました。

それに気づいたお母さんは、「ローラ。発表とても感激した。一言一言を大事にするわ。だけど…あれはちゃんと紙に書いてはいなかったでしょう?」とローラを責めることなく、優しく向き合います。そしてローラは自分の非を認め、先生に事実を話しに行くのです。

またお父さんは、ローラが学校に意地悪をしてくる女の子がいること、学校に行っても勉強ができずおいていかれてしまう不安があることを嘆き、朝学校に行きたくないとベッドから出てこない時

「僕が話をしてくるよ」とお母さんに声をかけ、ローラの気持ちにただ耳を傾けるために寄り添います。決して学校に行くことを強要したり、ローラの気持ちを軽くあしらうことなく、ただベッドの脇に座って話を聴いてくれるのです。

こうした穏やかで愛情深く、家族の気持ちを一番に考え、親として正しく誠実に、そして大人として家族を経済的に支えるといった役割も全うする二人を見ていると、「父とは、母とはこういう姿勢であることが普通なのだ」「こういうあり方が親なのだ」と無意識のうちに感じてしまうこともあることでしょう。

皆さんも「父親として、子供に厳しくいなくてはいけない」「親として、正しさや社会性を身に着けさせるためにも言わなくてはいけないことがある」「母ならば、子供のすべてを受け入れられなくてはいけないのに」など『良い親』がすると思われることと、今のご自分の間で苦しまれる時があるのではないでしょうか。

優しく穏やかなお母さん、頼りになる誠実なお父さん…そんな「良い親」の姿がいつの間にか皆さんの在らなくてはいけない姿になり、「そうなれなければいけない」のに「そうなれない自分」を作り上げ、気持ちが落ち込んでしまう。自分を責めてしまう。そんな日もあるかもしれません。

もしそんな気持ちになっている方が一人でもいらっしゃったら、どうか忘れないでいただきたいことがあります。それは、皆さんが親である、父、母であるのと同時に、「あなた個人である」ことです。

皆さんそれぞれが至らないところ、不完全で不十分な部分を抱えています。それは、親になったからといって補われたり、自然と解消されるものでもなく、常に自分自身の足りない部分と向き合いながら生きていくものです。

個人として完璧でないのですから、親としても完璧、良い親であるのも簡単なことではありませんよね。もちろん良い親、理想の親になれたらそれは素晴らしいことかもしれません。しかし、そうした理想を追い求めたり、または理想の姿に重圧を感じて苦しむことで、葛藤が大きくなったり、気持ちが落ち込み、毎日が辛くなってしまったりといったことも起こりえます。

だからこそ、「良い親であらねばと」思う気持ちを感じたら、その気持ちを否定することなく、同時に「本来の自分はどういう人か」「自分のいいところ、捨てたもんじゃないところはどこか」など、『自分自身』に目を向けていただきたいのです。

きっとそこには、親になる前の皆さんが持っていた、また親になってからの皆さんも持っている素敵な一面、自分自身で育んできた素晴らしいあなたがいるはずです。

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