【「良い親でいなくては」と感じるお父さん、お母さんへ~「○○でなければ」思考はどこからくるのか~】
こんにちは。東京支部の椎名です。
秋が近づき、やっと暑さから少しずつ開放されてきましたね。空が高くなり、風が軽くなってきているように感じます。皆さんも、今年の暑さがやっと過ぎ去り、少しほっとされていらっしゃるでしょうか。

さて、前回のブログでは「良い親」という理想について、また理想を無意識に持つことで苦しい思いをされたり、「良い親でなくてはならない」という思いから自分を追い詰めてしまう時についてお話させていただきました。
今回は、そもそもなぜ私たちは「良い親にならなくては」と自分自身を縛ったり、「親ならば、こうあらなければならない」と理想の親像を自分に課してしまうのかについて考えたいと思います。
~良い姿も悪い姿も拡散されていく社会~
なぜ私たちが理想の親像に苦しめられてしまうのか、そこに答えはありません。皆さんそれぞれに思い当たる「きっと私が苦しいのは、こういう理由からだろう」といったご自身の中での答えがあることでしょう。
それは、ご自分が生まれ育った環境であったり、今周囲にいる人からの影響であったり、または自分自身の性格であったり…
今回は様々な理由があるものの、皆さんに一つ共通するのではないかと思う背景を共有できればと思います。
それは、私たちが他者のプライベートな姿を簡単に見られるようになったということ。

SNSを開けば、笑顔で赤ちゃんをあやしているお母さんの姿、子どもと公園で全力で遊んでいるお父さんの姿、家が完璧に整理整頓されている様子や、知育玩具を使って子どもの教育に熱心に取り組んでいる姿が目に付くでしょう。
「気持ちに余裕をもって、子どもを叱りつけず笑顔で育児に取り組んでいるんだな…」
「子どもを毎週どこかに連れて行って、お金を使って遊ばせられる経済的な余裕があるんだな…」
「仕事もバリバリ、育児も全力で楽しんでいるんだな…」
SNSで見る他者の様子は、あくまでも発信者が『見せたい』と思う日常の一部で、一番良いように見える姿を切り取っているものも多いです。
そうはわかっていても、つい発信されている親としての在り方や姿に「こうできたらいいのに」と思い、そうした気持ちが「こうあるべきなのに、私は…」と気づけば自分を責めてしまうこと、他者と比べてしまうこともあるのではないでしょうか。

大人が『良い親でなくてはならない』と他者の姿と自分を比較して、無意識に自分自身を追い込んでしまうように、実は子どもたちも同じような苦しさを感じています。
「『〇時間勉強している』ってSNSに勉強ルーティンがアップされているのを見ると、自分は勉強していたつもりだったけど、実はたいしたことないんだって感じて落ち込む」
「みんな部活もあって、塾もあって、それでもあんなにキラキラして…。私には何もないって思っちゃう」
と、やはり同じ立場の同じ年齢の他者と自分を比べ、自分を責めたり、落ち込んだり、自分を認めることが難しくなったりといったことがあります。
また、例えば『ショッピングセンターで子どもが騒いで周りに迷惑をかけていた。親は何やってんだ』といった発信から、「親として気を付けなくては」「子どもにしっかりと躾をしなくては」と、周囲からの指摘や評価を「もっとこうしなくては」といった重圧として受け取ってしまうこともありますよね。
~周囲からの評価や発信から、少し距離を置く勇気~
簡単に子育てや教育など、子どもに関する情報が得られるようになった現代だからこそ、「こうすればいいのだ」「こうするのが正解なのだ」といった答えにも見える姿が目に入り、答えに近づけない自分を責めてしまう。
周囲の人からのポジティブもネガティブも含めた評価が目に入るからこそ、常に周りからの声を気にしてがんじがらめになってしまう。そんなことが日常茶飯事なのが、今の世の中なのかと思います。
そんな時だからこそ、周りからの評価ではなく「自分で自分を優しく見てあげる」という視点が必要なのかもしれません。

周りの親と自分とを比べてどうか、ではなく「子どもに対して前よりもこんな風に接せられるようになったな」という自分が成長したところを見つけてあげること。
SNSを開けば目に飛び込んでくる、育児や教育の答えを集めるのではなく「最近子どもが笑顔になったとき、自分がしていたこと、かけた言葉はなにか」と自分自身を振り返ってもらうこと。
大切なのは、周りとの比較ではなく、自分自身の姿を温かい目で見てあげることかもしれませんね。


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